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競馬必勝法はあるか・・・・②「競馬番組表」の呪縛

JRAの競馬のオペレーションをつかさどるものに「競馬番組表」がある。
JRA競馬の年間のプログラムであり、レースのスケジュールやレースの出走条件などが細かく記載されている。
といっても、レースのプログラムという域を脱して、勝ち上がった馬が次はどのステップで、どういうレースに臨み、どう勝ち上がっていくかを見据えたものになっている。

昔は1冊の冊子になっており(現在もそうなのだろうか)、JRAの本部に行くと、一般人でも入手できた。
いまは、競馬スケジュールの部分のみJRAのホームページで入手することができるが、このプログラムからは、馬主や調教師など、馬を出走させてくる側に必要な情報は削除されていると考えてよい。

厩舎側が馬を出走させる場合は、この番組表の規定に従って、自分の馬が出走できるレース、どのレースならもっとも有利な条件で勝ち上がることができるか・・・・などを考えて出走させてくることになる。

われわれは、きょうのレースの出馬表を見て(そこには、過去の成績が載っている)、きょうのレースの成り行きを予想する。
ところが、出走させてくる向こう側の陣営は、(きょうのレースを含めて)どこのレースで勝とうか、「未来」を見つめて、きょうのレースに臨んでいる。
勝とうと思っているかもしれないし、勝たなくてもいいと思っているかもしれない。
彼らは「未来」を想定して馬を出してきているのに、われわれは「過去」にしばられてレースの予想をしている。
これは、「決定的な差」ではないだろうか。

グレードレースについては、本番をねらうためのステップレースがあり、大方の馬は、それに乗ったスケジュールで出走してくる。
JRAも、番組表で定められたステップで臨んでくる馬にしか(原則的には)1着を許さないし、他のコースや、途中から参加してくる抜け駆けも許さない。
おそらく、グレードレースだけでなく、すべてのレースについて、向こう側にしかわからない「ステップレース的なレース」があるに違いない。
1頭のサラブレッドは、新馬戦に出走してから引退するまで、その生殺与奪の権をJRAの番組表に握られているといっても過言ではない。
番組表は、単にレースのスケジュールを示すプログラムではなく、どんな馬たちに「力走」(勝つことはもちろん、負けたりすることも含まれる)を求めるかという主催者の意思表示そのものなのだ。
巨大なコンピュータシステムと番組表ですべての馬を管理しているJRAは、どのレースでどの馬が勝つべきかがほぼわかっているのではないだろうか。

競馬を、競馬サークルの人たちの立場でとらえてみると、1頭の馬をめぐって、馬主、調教師、騎手、その他関係者みんなで行っているお金儲けである。
彼らにとっての「番組表」は、賞金獲得のための「作戦プログラム」でもある。
当然、番組表に目をこらして、どこで勝ちに行くか、周到な賞金獲得方法を考えるはずである。

ちょっと競馬を経験した人なら、出走してくる馬がすべて全力疾走することが当たり前・・・・などと考えることは不自然であることがわかるだろう。
勝つつもりがなくても、出走している馬がいる。
大相撲の「無気力相撲」ではないが、勝ちたくない馬が出走してきている場合だってある。
競馬は、強い馬が勝つものだと決めつけている人にとっては、大いなるジレンマであるに違いない。
「人気馬=強い馬」という認識も捨てたほうがよい。
競馬は強い馬が勝つのでなく、勝ったから強いと言われるのだ。

もう一つ、厳然たる、非常に大事な「事実」がある。
調教師、騎手など厩舎関係者は馬券を買えないが、馬主は馬券を買えるということである。
自分が、馬を出走させる馬主の立場になって考えてみたら、いくらレースでは人気になっていても、「確実に勝つためには、きょうのレースでは勝負をしない(馬券を買わない)」というケースが出てきても、全然不思議ではない。

番組表というJRAのバイブルにのっとって競馬が行われているのだから、レースの予想をする際には、ほんとうにこの馬はここに勝負をかけてきているのか、向こう側の立場で考えなければいけないのだが、そこが実にむずかしく、悩ましいところである。
競馬で勝つことにつながる方法は、「番組表」の読み方を含めて、「JRAのオペレーションに乗る」か、「JRAのオペレーションを逆手に取る」、ということではないだろうか。



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