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なみだは馬のたてがみに・・・・ダービーと寺山修司と。

思い出は遠い草原に
なみだは馬のたてがみに

寺山修司のことばを引用させてもらった。

あの頃(昭和40年代)、寺山修司は、競馬に関しても天才的・芸術的コラムニストで、(たしか)報知新聞のコラムで、「スシ屋の政」や「トルコの桃ちゃん」を登場させて、洒脱な競馬談義をくり広げていた。

寺山修司が「忘れがたかった馬」として上げている馬に、ミオソチス、カブトシロー、モンタサン、ホワイトフォンテン、テンポイント、ハイセイコー、メジロボサツ、ユリシーズ(彼の持ち馬=公営・船橋)、タカツバキなどがあるのだが、不思議なことに、ダービー馬は1頭も入っていない。

これらの馬たちからわかるとおり、華やかな成績を残して脚光を浴びた馬たちよりも、彼らに敗れて、主役を演じられなかった馬たちに、彼の視線は行っていたようだ。

彼があげた、ハイセイコー(タケホープ)については、このブログでたびたび書いているし、タカツバキに関しては、昨年のダービーのときに「タカツバキ落馬事件」で触れているので、ぜひお読みいただきたい。

http://z-ba.blog.so-net.ne.jp/2010-05-27

この記述の中で触れていた「メジロ軍団」が先頃、JRAから撤退を決めたという。
「メジロ」の名前がつく馬・・・・懐かしいし、消えるのはさびしい。

寺山修司に話を戻そう。
週刊誌の記者をしていた頃に、3度ほど話を聞いたことがある。
青森弁のぼそぼそ、とつとつとした話しぶりから予想もできない、刺激的な語句がほとばしり出てきた。
言葉のひと言ひと言に強烈に圧倒されたことを覚えている。
(48歳で死亡、生きていれば75歳)

寺山修司が、いくつかの媒体で、幾度も書いたり話したりしていたことに、次のような有名なフレーズがある。

人は馬券を買うとき、自分に似た境遇の馬の馬券を買う。
競馬ファンが握りしめているのは、じつは、馬券なんかじゃなくて、自分自身の人生なのだ。

境遇が恵まれない人は、いつか追いついてやるぞと追い込み馬に、サラ金ややくざに追われる人は、逃げろ逃げろと逃げ馬に・・・・。
競馬ファンは、馬券の名を借りて、自分自身を買っている、というのだ。

それにしても、当時(昭和40年代)の馬券は、超うすいペラペラの紙で、特券(1000円券。その他に200円券と500円券があった)を100枚重ねても、1センチにしかならなかった。
レースの間は、必死の思いで握りしめ、ゴール板で自分の買った馬が来なければ、空(くう)に投げるか、地面にたたきつけるしかなかった。

いまの競馬に「馬券」の実感はない。
幾通りもの買い目が1枚に印刷されたデジタル馬券。
いや、それよりも、馬券という「紙」の実感すらないケータイやパソコンからのネット投票。
馬連だ、3連複だ、3連単だ、Win5だ・・・・。
いまの競馬事情を見たら、寺山修司は何と言うのだろうか。



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